今回は住野よるさんの小説『君の膵臓をたべたい』を読んだのでその感想を書こうかなと(^_^.)
『君の膵臓をたべたい』を読むきっかけ
去年(2015年)後半ぐらいから本屋さんに行くたびに、目にするようになったのが住野よるさんの『君の膵臓をたべたい』という単行本の小説でした。
まず、本のタイトルが度肝を抜くインパクトなわけです。
「君の膵臓をたべたい」
・・・え、どういうこと?何か精神異常者の猟奇的な怖い話?
みたいな。
一方、本のカバーはというと、本のタイトルとはまるで程遠いような青春な爽やかなイラスト(春の満開の桜の木に佇む青年と少女)で。
だからこの『君の膵臓をたべたい』は本屋さんに行く度にずっと気になっていました。
そうこうするうちに『君の膵臓をたべたい』が、本好きの雑誌のダ・ヴィンチの「BOOK OF THE YEAR 2015」の2位にランクイン、2015年年間ベストセラー6位、読書メーター読みたい本ランキング1位など、話題の人気本としてこの『君の膵臓をたべたい』が取り挙げられて、大ブレーク!
「てかこれはもう読まねば!」と思い立ち、Amazonで『君の膵臓をたべたい』をポチッと購入して遅ればせながら読ませて頂きました。
『君の膵臓をたべたい』のあらすじ
あらすじをまとめると下記のような感じです↓
友だちが一人もいなくて、読書が唯一の趣味の主人公「僕」が病院に行った際に、偶然に高校のクラスメイトでクラスの人気者の明るい女子高生の山内桜良が名づけた”共病文庫”という日記を拾って読んでしまい、彼女が家族以外の誰にも明かしていない秘密を知ってしまう。
それは、彼女が膵臓の病気で余命1年しかないこと。
桜良がクラスメイトの誰にも言うつもりがなかった秘密を「僕」が知ってしまった事で、秘密の共有関係になり、「僕」が桜良と共に時間を過ごしていくことに。
明るく快活な桜良が「僕」を振り回す形ながらも、二人はいつしか仲良しに。
誰ともかかわらない一人で生きてきた「僕」、一方クラスメイトの友だちに慕われ愛されて人間関係の中で生きてきた桜良。
そんな正反対の2人がともに時間を過ごす中で、「僕」自身の気持ちや考え方にも以前では考えられないような変化が生じていく。
「僕」が桜良とだけはへらず口を叩いたりふざけたりしながらも、桜良との”家族以外”での初めての人間関係を通して、これまでに味わった事のない喜怒哀楽の体験やたくさんの事を学んでいく。
そして「僕」自身の中で彼女の存在が大きくなり、やがて「僕」自身が桜良への心の奥底に抱く本当の想いに気付く。
「僕」自身がは本当は桜良のようなになりたかったこと。
人を認められる人間に、人に認められる人間に。人を愛せる人間に、人に愛される人間に。
友だちなんていなくていいと自分に言い聞かせて過ごしてきたけど、本当は心の底では自分以外の周りの人間との絆を欲していたことに。
やがて、桜良が夏休みに病院から退院した当日の午後に、桜良と一緒に遊びにいくことを約束するけども。。。
・・・(中略)・・・
「僕」は桜良の死後に、桜良が自分の死後に親しい知人に公開すると言っていた”共秒文庫”を読む。
そこで桜良が「僕」に抱いていた本当の想い、そして「僕」が最後に桜良に送ったメールが開封されていたことを知り、「僕」は本当の感情を一目はばからず吐露する。
桜良の想いを知った「僕」は、「僕」自身の本当の想い・目標のために、勇気を出して行動に移していく。
そしてそれから一年後・・・。
『君の膵臓をたべたい』の個人的感想
いやぁ~、ここ最近読んだ小説の中で、一番泣ける小説でしたね。ヤバイです。
涙腺ウルウル、鼻水ズルズルってなもんです。
思わず2度読みしちゃいました。
話の設定自体は、高校生の男女がひょんなことがきっかけで仲良くなり、女の子が病気で余命いくばくかで、残り少ない時間をともに過ごすという、セカチュー的な青春ラブストリーにありがちな設定です。
ただ、そういう設定にありがちな『お涙ちょうだい・感動をありがとう』的な視点や匂いで一切書かれていないのがこの本の斬新で凄いところだなと。
それは多分、この物語の主人公の「僕」が友だちが一人もいなくて学校でも透明の存在感という、人間関係・人付きあいの乏しい人間の視点で、初めて仲良くなれた余命いくばくの山内桜良と共に過ごす日々を描かれているからなのかなと推察します。
だから、ありきたりでない新しい気づきや切り口を感じさせてくれてるんじゃないかって。
そして登場人物(「僕」&山内桜良)がどちらもとても魅力的だから、読んでいて両方とも応援したくなる部分もあるし、余計感情移入できたっていうのもあるかもしれません。
特に対照的な2人が織りなす話の軽妙でやりとりは、読んでいてユーモアが効いていて笑えちゃうし、時々のシリアス話には、手に汗を握る感じで、全く飽きませんでした。
あとストーリー以外で言うと、小説が余計なものをそぎ落としたシンプルかつストレートな文章・文体で描かれているので、まわりくどくなくて、スラスラと読みやすいのもお気に入りポイントの1つです。
自分的に考えされた事
自分的にこの『君の膵臓をたべたい』を読んで改めて考えさせられたのは、「生きるということ」「自分自身の主体性」についてかなと。
桜良のように自分が余命を宣告された時に、自分に置き換えた場合どうやって毎日過ごすのかなと。。
彼女みたいに、自暴自棄にならずに一生懸命その日その日を生きていけるかな、とか。
桜良は自分の「生きる」の定義は、「誰かと心を通わせること。」と言ったけれども、自分なら何になるんだろうかとか。。
その質問に自信を持って答えられる回答はいまだに持ち合わせていないですけども。
桜良のように余命宣告でもされて死を身近に感じないと、本当の意味での”生きること”を意識できないのかもしれませんね。
健康な状態の時には何も考えないけど、病気になると健康について考えるようなもので、損なったり失う事で強く意識するものなのかもしれないけど。
あと「偶然の出会いも、それまでの自分自身の選択した決断の積み重ねの末の出会いだから、結局は自分で選択した結果だよ」的な事を桜良が言っていたけど、確かにその通りだなと妙に納得したというか。
現時点の自分を構成する全ての要素(人間関係・仕事・健康など)はこれまでの自分自身の選択した決断によってもたらされているわけで、そう考えると、偶然なんてこの世に一切存在しなくて全てが必然だと考える事もできるし、そう考えたほうが誰のせいにしなくてすむので潔くていい気がするんですよね。
周りに流されるままに生きてきたとしても、流されることを選択したのは自分なので、結局は自分自身で選択して決断した事と言えるわけで。
この『君の膵臓をたべたい』を読んで、そんなちょっと真面目な事を考えさせられちゃいました。
まとめ
『君の膵臓をたべたい』は、とても10代の青春ストーリーで片づけられない、もっと”人生にとって、生きること”においての深いテーマを汲み取れる、すごく良い小説だと思いましたね。お涙ちょうだい系ではないけど、結果泣けます(泣笑)
文章もサラッと読みやすくてユーモアも効いていて、読者の年代に関係なくおすすめできる小説ですね。
てか、この小説が著者の”住野よるさん”にとってもデビュー作なんですよね。才能どんだけー(゜レ゜)
これは第2作も今から楽しみです。めっちゃ期待(^_^.)